おいしくなりたいひと

ちょっと変わった目線から「 子供と暮らす生活」と、「ライフハック」をつぶやきます。

子供のためのグリーフケアを考える

スポンサーリンク

 

こんにちは共働き、バトです。

 

「グリーフ」とは「深い悲しみ」「悲観」を意味します。大切な人を失った時に起こる身体上、精神上の変化をさすことをいいます。

 

 

本記事の内容  子供のためのグリーフケアを考える 

 きっかけ:まもなく我が子が亡くなって5か月がたとうとしています。最近、次女の通う保育園の教室の壁に、それぞれの家族の似顔絵がかいた絵を飾ってありました。そこには私たち両親、本人、そして亡くなった姉が描かれていました。

子供は亡くなった時、わからないこともあり言葉や表現をしずらいことが多いです。

 

大切な人が亡くなった子供が考えることと親の認識の違い
  • 子供は死別した子の死を「自分のせいだ」と思わずにはいられない
  • 死を理解するのは5歳から小学校低学年頃から
  • 子供は死別を経験すると深い悲しみを感じている

 

子供は死別した子の死を「自分のせいだ」と思わずにはいられない 

一般的にデータ上で言われることです。私の認識としては、特に死が自分のせいだとは感じていないように思いました。でもそれが認識の違いだとしたら大変です。子供のグリーフケアは大人より複雑で、あとあと学童期になって症状が出てしまい、否認、学力低下、ひきこもり、暴力、恐怖や抗うつ、不登校などにつながってしまうとのことでした。

 

 

死を理解するのは5歳から小学校低学年頃から 

一般的に5歳から小学校低学年くらいまでに「死が不可逆的なこと」と「永遠の別れ」ということを認識できる年だとされています。しかし、死は理解できているのだと思います。それももしかしたら親と子の認識の違いが生じているのかもしれませんが。

子供の変化は難しいです。子供の反応として親が気づきにくい形で怒りを表現している場合もあるそうです。確かに喜怒哀楽は前よりしっかりしてきたと思いますが、成長過程なのかもと思います。難しいところです。

 

子供は死別を経験すると深い悲しみを感じている 

姉との死別を経験したとき、最初はそんなに悲しくないように見えました。葬儀場でも走り回っていたし、挨拶の時も笑っていました。しかし、生存時のころに兄弟時へのカンファレンス(医師とカウンセラーの面談時)がありまして、そのときはきちんと表情に表れて不機嫌になりました。なぜか亡くなった当日と葬式前後は悲しくないように見えました。日々過ぎていくうちに徐々にいないことに気付いたような気がします。これも親と子の認識の違いなのでしょう。もしかしたら周囲の気遣いで笑って明るくしていたのかと思うとちょっと悲しくなりました。きっと悲しいに違いなかったと思います。

 

 

死を乗り越えるのではなく、共用しながら生きていく 

がんになった時、「がんと共存していきながら生きていく」という話がありました。グリーフケアも同じように避けたり乗り越えるのではなく、共存していけたらきっといい関係性が生まれるのではと思います。共存していくつもりで子供には話してあります。うまく伝わるといいのですが。

具体的にどうしたらいいのだろう・・・?

 

 

子供のグリーフケアを考えるということ 

現状、自分たちが子供にしていること

 

  • 子供に事実をシンプルに伝える
  • 死別した子との思い出を共用するようにしている
  • 子供と話し合う、一緒に遊ぶ
  • 子供を不安にさせないようにしている
  • 子供の変化に気づくよう働きかける

 

自分がいましていることは、死んでしまったことをシンプルにつたえることです。現状は寝ている、(起きる予測がつく)ようなことは言ってはいませんが、お星さま、お月様にいて2度とあえない、と言っています。しかしこれも表現があいまいかもしれません。今思うと中途半端な言葉になってきているようなきがします。

次に亡くなった子の話はできるだけ避けないようにしています。なにかきっかけで亡くなった子の話が出たときは面白い話をまじえて長く話すようにしています。

 

自分、夫のケアももちろん、将来にかかわってくる子供のケアも大切です。事情をしっている保育園の先生のサポートは充実しています。一番の課題は、子供にシンプルに事実を伝えるのが意外にもむずかしいことです。今後、イベントがあれば同じ体験をした子供の集まる「場」に行ってみようと思いました。なにかヒントがあるかもしれません。子供の心のケアをどのようにしていくか考えたいと思います。

 

 

ここまでよんでいただきありがとうございました。

 

 

おわり

スポンサーリンク